災害薬学ラボ

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災害とは

 そもそも災害とは、自然現象や人為的な原因により人命社会生活に影響が出る状態のことです。日本の災害対策基本法では、災害を「暴風、竜巻、豪雨、豪雪、洪水、崖崩れ、土石流、高潮、地震津波、噴火、地滑りその他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他その及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害」と定義しています。

 

 災害の要因は大きく分けて、誘因素因の二つがあります。地震や洪水のような外力を誘因、社会が持つ災害への脆弱性(裏を返せば防災力)のことを素因といい、災害は防災力(素因)を超える外力(誘因)に見舞われたときに生じるといえます。

 

 災害の定義としては、①社会学的定義と②安全工学的定義の二種類があります。

 

社会学的定義

 社会学定義に基づく災害には、自然災害と人為的災害があります。自然災害には、気象災害、地震、噴火があり、人為的災害には、列車、航空、海難、交通事故、テロ、NBC災害(N=nuclear,B=biological,C=chemical)、CBRNE(R=radiological,E=explosive)災害があります。

②安全工学的定義

 安全工学的定義では、日常災害や労働災害を含めた広範な事象を災害として取り扱います。転倒、火傷、医療事故等も災害に含まれます。

 

被害の大きな自然災害としては以下のようなものがあります。

  • 中国大洪水(1931年7月-11月)

 Bundesarchiv Bild 102-12231, China, Überschwemmungsopfer.jpg

 死者14万5,000人–400万人、20世紀以降の洪水災害として最大。20世紀最悪の自然災害として確実。1928年から1930年まで、中国では長期の干ばつに見舞われました。いくつかの記録によれば、華中では1930年末の冬から異常気象となり、激しい冬の嵐ののち、春の雪解けと豪雨によって川の水位が大幅に上昇しました。1931年7月・8月には雨はさらに勢いを増し、1931年はまた、台風の活動が極めて活発だった年でもあり、年平均わずか2個の台風しか発生しないこの地域に、この年の7月だけで7個の台風が襲来し、7月だけで長江沿いの4つの気象台が月間降水量600mm以上を記録しました。長江と淮河の洪水は、まもなく当時の中国の首都・南京に到達し、水死あるいはコレラやチフスといった水媒介性感染症で数百万人が死亡しました。

  • ボーラ・サイクロン(1970年11月7日~11月13日)

 ボーラ・サイクロン 1970年11月11日 0858 UTC  

 死者30万–50万人、サイクロン災害として史上最悪。1970年11月12日に東パキスタンのボーラ地方(今日のバングラデシュ)とインドの西ベンガル州を襲ったサイクロン。ベンガル・デルタ地帯の標高が低い島々が高潮に襲われ、これを主な原因としてもっとも控えめな見積でも20万5000人以上、最大50万人と推定される人命が失われました。近代以降の自然災害全般の中でも最悪のものの一つ。この被害が余りに激甚であったことが直接的な契機の一つとなって、以後パキスタンは内戦状態に陥り、翌年バングラデシュが独立しました。ハリケーンの規模は最低中心気圧966mb、最大風速51m/sに達した。これはサファ・シンプソン・ハリケーン・スケールにおけるカテゴリー3ハリケーンに該当します。

  • 唐山地震(1976年7月28日)

 

死者242,000–655,000人、20世紀以降の地震災害として最大中華人民共和国河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュードMw7.5の直下型地。市街地を北北東から南南西に走る断層に沿って大きな水平右ずれが発生し、当時有数の工業都市であった唐山市は壊滅状態となりました。死者数は中国発表で約25万、アメリカの地質調査所の推計では65.5万人となっています。当時中国は文化大革命の真っ只中であり、政府は「自力で立ち直る」と外国からの援助を拒否しました。このことが犠牲者の拡大をもたらした一因だといわれています。

スマトラ島沖地震(2004年2月26日)

  

 死者226,566人、津波災害として観測史上最悪。インドネシア西部時間07時58分53秒にインドネシア西部、スマトラ北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.1の地震に伴う津波である。マグニチュード9.1とは、東北地方太平洋沖地震(M9.0)の1.4倍の規模であり、1900年以降チリ地震に次いで二番目に大きな規模である。平均で高さ10mに達する津波が数回、インド洋沿岸に押し寄せました(地形によっては34mに達した場所もあった)。アンダマン・ニコバル諸島近海からスマトラ島北西部近海にかけてのおよそ1,500kmの帯状の地域(上のアニメーション参照)の、およそ海底4,000mの場所で津波が発生、津波発生時には2~3mほど海底が持ち上がり、ジェット機並みのスピード(約700km/h)で津波が押し寄せたと見られます。 

 津波はアフリカ大陸東岸のソマリア、ケニア、タンザニアにも到達し、ソマリアで100人以上の死者が発生。また南極大陸昭和基地でも半日後に73cmの津波を観測し、また、アメリカ合衆国の西海岸、南アメリカ大陸でも数十cmの津波を記録した。

  • プレー山噴火(1902年5月8日)

 

 死者約30,000人、20世紀以降の火山災害として最大。プレー山(仏: Montagne Pelée)は、西インド諸島のなかのウィンドワード諸島に属するマルティニーク島にある活火山。名称は『はげ山』の意味。1902年に大噴火を起こし、当時の県庁所在地だったサン・ピエールを全滅させた。その結果、約30,000人が死亡。プレー山の噴火そのものは特筆するような大規模なものではなく、たまたまサン・ピエールの町が熱雲の通り道にあった事が大災害の直接の原因でした。しかし一方で人災の面も指摘されます。5月に実施予定の選挙のため、市民が市から退避するのを防ごうと、市の首脳部や新聞社はプレー山の活動を過小評価し、あるいは無視して、差し迫った危険を市民に知らせませんでした。災害の直前には市長は市に戻って安全を強調すると共に、軍隊により住民の退去を強制的に阻止しました。しかし、島の地形がサン・ピエール市を災害から守るようになっていると信じて郊外から市内に移った人々もいました(実際、火砕流の本体は谷に沿って流れ、サン・ピエールを外れている)。

  • バルガス災害(1999年12月15日)

 死者10,000 - 50,000人、地滑り災害として史上最大

  • イラン吹雪災害(1972年2月)

 死者4,000人、吹雪災害として観測史上最悪

  • Daulatpur–Saturia竜巻(1989年)

 死者約1,300人、竜巻災害として観測史上最大